人生

一人暮らしを始めて、よく外に出るようになった。外に出るときは大抵、訳もなくコンビニに行ったり、スーパーで食材を調達する。実家で暮らしていたときはお店に足を運ぶわけではなく、ただ途方に暮れて、星が出る夜にただぼーっと空を見上げていた。変わっていく。

 

変化することが好きか嫌いかでいうと嫌いだと思う。それがなぜなのかは考えたくもない。今まで生きた人生で現状に満足したことはあまりないと思っているが、満足するような形に収束させようとしている自分の気持ちがあるのではないかと思う。

 

変化することは現在地を真ん中とすると上か下かにしかいかない。上を良い変化、下を悪い変化と仮定するなら、変化を恐れることは保守的な自分の気持ちと比例している。

 

これから先の見えない幸せを大きなリスクを背負って手に入れるか、何もせず徐々に悪化していく現状の幸せを保持するかと聞かれたら、迷わず前者を選ぶ。でもそれを具体的な何かに置き換えられたらそうはいかない。

 

例えば、50%で亡くなるが、成功すれば最期まで健康に生きられる手術をするか、いくつかの病気を抱えながらあと5年で亡くなるか。という質問をされたとしよう。これは極端な例だが、60歳の、体に支障がある人がこれを告げられたらどれだけの人が手術を受けるだろうか。もちろん人によっては長生きしたくない人も賭博師な人もいるだろうが、この場合は除いたとしよう。

 

箱の中身は開けるまでわからない、まさにシュレディンガーの猫だ。こんなことがあったとき、大きな変化がある方に「はい」と言える人間はかっこいいと思う。半分死を選択することに付加価値がある訳ではなく、残りの50%をどれだけ楽観的に捉えられるかということである。変化することはでこぼこ道を歩くようなものだが、現状維持をすることは坂道を徐々に降ることである。実際変化しないということはありえないので現状維持≒変化しない とする。

 

今度は坂道の仮定の仕方を変えてみる。坂道は大抵、上る方が大変で下る方が楽だ。変化しないことは平坦な道を歩くことで、変化が大きければ大きいほど上り坂は大変だ。これは長さであり、傾斜である。大きな変化を選択することはときに大きな成功を得るチャンスになるが、かといって必ず成功するわけではない。長い坂を上ったからといってすぐに下り坂が待っているわけではないからだ。

反対にずっと下り坂の人生もあれば、平坦な道の人生もある。(さきほどの仮定だと下りは失敗だが、今回の仮定は下りが楽なので≒成功となるので混同しないように)

 

今回のテーマは自分がどの道を選択するか。

(もちろんどの道の生き方も素敵で否定をするわけではないので、ご了承を下さい)

 

自分は性格と向き合う時間が人一倍長いと感じることが多いが、時間が多いだけでいつも解決には至らない。多分考えすぎなのだろう。考えすぎて何を考えていたのか分からなくなる。後編の坂の仮定における自分の選択肢は現状間違いなく平坦な道(変化を求めない)になってしまうが、理想とする自分の姿からすると確実にでこぼこ道(変化大)を選択せざるをえない。かっこいい人、尊敬する人、好きな人、忘れたくない人、天使のような人、自分を取り巻くすべてそのすべての人が変化をしないと手に届かないものであることが大きな理由である。変化はするものであり、求めるものでもあるが、反対にしないものであり、求めないものでもある。変化は自分1人でしなくても、他人の変化に影響されることもある。そんな中で変化は選択肢を提供してくれる。そして、大きなリスクを背負って大きな変化を求めることは幸せを追求する人生の醍醐味なのではないかとも思う。

 

 

 

追記

2つの軸を用意することで登りと上り(降りと下り)をちょうど使い分けれました。

話の構成だったり、句読点は小学校でちゃんとやらなかったツケが回っています。

 

家の近くは、坂道ばかりでちょっと大変だなと思っていましたが、少し考えてみたら人生と似てるなと思ったのでこれを書いてみました。そして、たとえ上りきった後に下り坂が待っていなくても、大きな下り坂を求めて大きな上り坂を選択できる人間になりたいと書きながら思うことができました。僕が思う素敵な人もきっと大きな坂を上っている最中に転んでしまったと思うし、その人のおかげで変化に向き合うことができているので、人生の良い機会になったと実感しています。長い長い坂を上りながら背中を押せたら良いなと思います。

 

きっと山頂には綺麗な景色が広がっていて、のぼり坂にしか咲いてない花があるから